和骨董大辞典

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在外銀行券

 

在外銀行券は旧外地通貨とも言われ、以前、日本の本土以外の領土内で使用されていた通貨です。日本国内で流通した日本銀行券とは異なるデザインですが、在外銀行券と同額の日本銀行券への交換が保証されていたものです。

 

大日本帝国が本土以外に、南樺太や千島、台湾、朝鮮、関東州、南洋も領土であった頃、その内朝鮮と台湾、関東州、南洋は外地と呼ばれていました。在外銀行券は、これらの地域の不安定な経済状況が本土に影響をもたらさない為、あるいは、もしこれらの地域が敵国に攻め込まれ、その地の日本銀行券が没収された際本土に混乱を生まない為など、不測の事態にはすぐに本土と通貨を切り離せるということを目的に、現地銀行を設立しそこで発行されました。

 

 

☆満州中央銀行券

 

満州国は昭和7年(1932年)から昭和20年(1945年)にかけて、現在の中国東北部に存在した国です。その中で満州中央銀行は、建国当初に日本が全面的に支援し、満州の通貨である満州国圓を発券していました。

満州中央銀行券は発行、または改正された順により、改造券、甲号券、乙号券、丙号券、丙改券、丁号券の6種類があります。また、紙幣は100圓、10圓、5圓、1圓、5角の5種類が発行されました。ちなみに改造券とは新紙幣が発行されるまでの一時的なものとして、旧東三省官銀號現大洋票の、署名印の無い紙幣を流用した紙幣のことです。

 

 

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台湾銀行券

 

台湾銀行は明治32年(1899年)から昭和20年(1945年)の間運営され、本店を台北市にかまえた他、31の支店と1つの出張所があった中央銀行です。現在でも「台湾銀行」は存在していますが、これは昭和21年に設立された別のものとなります。

台湾銀行は紙幣発行のみでなく、植民地銀行・貿易銀行・一般商業、また国庫金の取り扱いなど業務は多岐にわたりました。紙幣は銀券・金券・改造券・甲・乙・支払手形が発行され、1000圓、100圓、50圓、10圓、5圓、1圓などの種類があります。中でも台湾銀行券並支払手形と呼ばれるものは高額で取引されることが多いです。

 

 

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朝鮮銀行券

 

朝鮮銀行は明治35年(1902年)、大韓帝国が第一銀行券を発行し、それを韓国公用の紙幣として流通させる権利を得たことをきっかけに、事実上中央銀行化しました。ここで発行された朝鮮銀行券は、時期によって3つの種類があります。

1つ目は明治35年(1902年)に発行された株式会社第一銀行券です。10圓、5圓、1圓、50銭、20銭、10銭の額面があり、内10圓、5圓、1圓は時期によって旧・新・改造に分類されます。

その後、民間の銀行である第一銀行が公用紙幣を発行している事実が問題視され、明治42年(1909年)に中央銀行として設立された韓国銀行が発行したのが、2つ目の韓国銀行券です。10圓、5圓、1圓の3つの種類が発券されました。

3つ目は、明治44年(1911年)の韓国併合を受けて、韓国銀行が朝鮮銀行に改名された後に発行された朝鮮銀行券です。100圓、10圓、5圓、1圓の4種類が発行され、時期により改造・甲・乙に区別されます。

 

 

 

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