和骨董大辞典

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壺屋焼(つぼややき)

壺屋焼は沖縄県那覇市の壺屋や読谷村で製造されている陶器のことで、重厚感のある風合いと色とりどりの釉薬で施された絵付けが特徴です。大きく分けると荒焼(あらやち)と上焼(じょうやち)の2種類があり、荒焼は、釉薬を使わずに焼かれた水やお酒の瓶、あるいはシーサー造りに用いられたもの、そして上焼は多くの種類の釉薬で絵付けされ高温焼成したものをいいます。

 

『壺屋焼』という名称以外に、沖縄では「やちむん」と言い表されることもありますが、これは「焼物」を意味する言葉で、壺屋で焼かれた『壺屋焼』あるいは読谷村で焼かれた『読谷焼』とも呼ばれる陶器など全ての焼物をさす言葉となります。

 

 

 

壺屋焼の歴史

 

 

沖縄では古くからアジア諸国との貿易が行われ、多くの陶器が取り扱われていたと共に、安土桃山時代には陶器と共に伝わってきたとされる「南蛮焼」の技術で瓦などが焼かれていたと言われています。この「南蛮焼」は荒焼の先駆けでした。

そして江戸時代初期、薩摩にいた朝鮮の陶工が沖縄の湧田に招かれ焼かれ始めたのが、上焼の前身となる焼物です。当時ここで焼かれたものは「湧田焼」、その後広まっていった窯の中で、読谷村喜名で焼かれていたものを「喜名焼」、他にも美里村の「知花焼」、首里の「宝口焼」などの古窯が誕生しました。

 

こうして南蛮焼の技術と朝鮮の陶工から学んだ技術によって沖縄独特の陶工技術は発展していき、1682年、湧田焼・知花焼・宝口焼の窯が壺屋という土地で新たに統合され、生まれたのが「壺屋焼」です。

日本の本州では江戸時代前半の頃でしたが、ここから明治期に廃藩置県が実施されるまで、沖縄ではこの壺屋焼から多種多様な作品が生まれていき、当時の作品は現在「琉球古陶」と呼ばれています。

 

 

明治時代になると、それまで「琉球」であった沖縄は「沖縄県」となり、本州からの安い焼物が流通し始めました。これによって壺屋焼の生産は一時低迷しますが、大正時代、民芸運動を行っていた柳宗悦らが沖縄を訪問したことで、壺屋焼は本州にも広まり需要が高まっていきます。

さらに昭和60年には沖縄県で初めて金城次郎氏が壺屋焼の重要無形文化財として認定され、壺屋焼は改めて広く親しまれるようになり、現在でも日用雑器やシーサーなどの置物を始めとした様々な作品が制作されています。

 

 

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