15世紀の中頃から16世紀初頭に活躍した画家です。湖北省の出身で、号は小遷あるいは小仙、魯夫と称しています。幼少期に孤児となりましたが銭昕に拾われ、10代のころから画家としてその画名を広めました。
15世紀後半には宮廷用の絵画を制作する官署であった翰林図画院に従事し、天子に特に気に入られるほどになりました。画院でも代表的な人物画家、山水画家として知られ、呉偉は浙派の祖である戴進にその画法を学んだと言われています。
また、作品にはその豪放な性格が影響してか、粗々しい筆跡も見られますが、その筆遣いと墨の濃淡の技法は高い評価を得ています。