東洋骨董大辞典

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景徳鎮窯(けいとくちんよう)

江西省東北部で活動している窯です。景徳鎮窯は長江に通じる昌江という川に面しているため、材料や商品の輸出入において利便性に優れた土地に建っています。また、付近の山では磁器の製造に必要なカオリンが豊富に採れたため、品質の高い磁器の製造に有利な土地柄でした。

時代によってさまざまな作品を残している景徳鎮窯ですが、中でも、豊富に採れたカオリンを原料とした白磁の白さは高く評価されており、ヨーロッパで初めて白磁の生産に成功した「マイセン」や、日本の「有田焼」など、世界的に大きな影響を与えた磁器窯としても知られています。

ここではこの景徳鎮窯について紹介していきます。

 

 

 

景徳鎮窯の歴史

 

 

景徳鎮窯での生産は唐の時代に始まっており、当初は「景徳鎮」ではなく土地の名前から「昌南鎮」と呼ばれていました。やがて宋の時代に白磁や青白磁が生産されるようになると、窯を中心に村が栄えていき、最盛期を迎えます。

この頃、作品の品質に感動した皇帝真宋によって鎮名に『景徳』の名が与えられ、「景徳鎮」窯の作品とその名は広く知れ渡っていくこととなりました。

 

 

宋の時代に景徳鎮窯で生産された白磁や青白磁は歴史的にも非常に優れたもので、純白の白磁に透明な釉薬を掛けたものや、彫りの施された青白磁は代表的です。特にこの青白磁は釉薬中にどうしても残ってしまった鉄分を逆に活かすことで、彫り模様などに溜まった釉薬が青く見えるようになっており、『影青(いんちん)』とも呼ばれています。

その後、磁器の製造技術が発達し元の時代になると、白磁にコバルトの絵付けを施し、透明釉を掛けて焼き上げた『青花磁器』という彩釉磁器が生まれました。この作品には名作が多く非常に高値で取引され、当時はイスラム圏を中心に輸出されていたようです。その他にも銅紅釉を用いた『紅釉磁』や、コバルトを用いた『瑠璃釉磁』なども開発されたほか、白色を尊んだ当時のモンゴル支配層からは官窯として認定されました。

 

 

こうして景徳鎮の中で官窯と民窯が出来上がると、民窯に官窯の技術が取り入れられ、明の時代、景徳鎮は大きく発展しました。色絵磁器の技術の発達で華やかな色彩磁器の生産がされるようになると、古染付、小赤絵、祥瑞などの日本でも人気の高い作品が生産されるようになっていきます。やがて清の時代にはより緻密に、絵画的な表現が可能となった「粉彩」の技術も発達し、中国の製陶業界をより盛況させました。

 

清の時代も官窯として活躍した景徳鎮窯は、一時は衰退の一途を辿りましたが、遺跡の保護や博物館やの建設、民間工場の進出などもあり、現在でもその技術は受け継がれています。

 

 

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