15世紀から16世紀にかけて画家として活躍しました。江蘇省の出身で、号は石田翁や石田、白石翁と称しています。特に「石田」はよく称していたため『沈石田』と表記されることが多くあります。
元時代からの名家の出身でしたが『仕官をしない』という家訓に従い、生涯仕官はしませんでした。20代後半の頃には官吏に推薦されたものの、それを避け田舎で文芸の研究に没頭したといわれています。
沈周の父も芸術を好んでおり、沈周は絵を父や伯父から学び、その後五代十国時代の作家たちの作品の研究も行いました。また、書においては北宋時代の書家黄庭堅、詩は幼い頃から陳寛に師事し、画、書、詩のすべてに優れていたので三絶と称されています。非常に心優しい性格で、書画の依頼が後を絶たなかったといいますが、晩年は名が高まるのに反し、貧窮していきました。
山水画の二大様式のひとつである南宋画や、花卉雑画の復興を実現し、弟子の文徴明が跡を継ぎそれらを発展させたと言われています。