17世紀中頃から18世紀前半に、詩人として活躍しました。山東省の出身で、号は漁洋山人や阮亭と称していますが、王漁洋の名で呼ばれることも多くあります。
25歳の若さで科挙を通過し、いくつかの役職を経て、法務大臣として従事しました。
また、詩の創作にも才能を表したため、文人としても名を馳せており、作品の中でも20代前半の頃に発表した『秋柳』詩は、失われた明王朝への憂いを詠ったもので、当時の文人達から高い評価を得ていました。
同じく詩文に長けた文人朱彝尊(しゅいそん)と並んで『南朱北王(朱王)』と呼ばれています。