東洋骨董大辞典

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耀州窯(ようしゅうよう)

陝西省の耀県、銅川市黄堡鎮周辺で活動していた窯場です。初唐から明の時代の中頃まで、約800年の間作品を制作していたと言われています。

窯場であった黄堡鎮(こうほちん)は陶土や、焼成に不可欠な木材などが豊富に採取できたため、陶磁器の制作には非常に適した場所でした。オリーブグリーン色の釉薬が使われた「耀州青磁」と呼ばれる青磁が特に有名で、これには素地に片切彫りと言われる彫りが施されているのが特徴です。この片切彫りは模様に対して垂直に刃物を入れ込み、斜めに広いV字型の溝を掘る技術で、深い溝を作ることで釉薬の濃淡を生み出すしくみになっています。

 

 

 

耀州窯の歴史

 

 

耀州窯で最も有名なのは前述した「耀州青磁」ですが、長い歴史の中でその色合いは何度か変化し、青磁の他にも多くの作品を残しています。ここでは耀州窯の歴史と時代ごとの作品について、大まかに紹介していきます。

 

 

☆唐の時代

当初の耀州窯では、その恵まれた自然環境の中で白磁や黒磁釉が制作されていました。やがて唐の時代には三彩や、黒釉に不規則な白濁釉を重ねた「花釉磁」、鉄釉の一種を使用して黄緑色に焼き上げる「茶葉末釉磁」などが制作されています。盛唐の時代からは次第に青磁の生産が増え、耀州窯ではこの頃から青磁制作に関する技術が磨かれていたと考えられます。

 

 

☆五代~宗の時代

900年頃から耀州窯での青磁制作技術は大きく発展しました。この時期に作られた青磁は、唐の時代に焼いていたものに比べて明るい「天青色」という色合いとなります。その後宗の時代に入ると、天青色だった釉薬は現代でも有名なオリーブグリーン色のものが制作されるようになりました。模様付も片切彫りの技法が使われ、耀州窯の作風が確立されました。

 

☆金の時代

この頃から耀州窯の青磁は器の形に丸みを帯び、厚みを増した作りのものが多く見られるようになります。施される模様も「陶範」と呼ばれる陶製の鋳型を使用した物となり、それによって大量生産が可能になりました。また、新たに月白釉(げっぱくゆう)という釉薬を使った青磁が生み出されています。しかし、大量生産によりかつてと同じ品質を保つのは難しくなり、徐々に耀州窯の青磁は衰退の一途を辿ることとなりました。

 

 

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