19世紀中頃から末頃にかけて活躍しました。江蘇省の出身で、号は紅茵館主と称しています。幼少の頃より絵を学んでいたほか、「碑帖」と言われる金石文の拓本の模写も行っており、書においても才能を発揮しました。
胡錫珪が描いた中国画作品の中でも、特に有名なのは『仕女図』と呼ばれるものです。これは宮廷に仕える女性や、貴族・町の女性の日常を題材にしたもので、琴や喫茶、会話や作業をしている場面が描かれます。鮮やかな彩色も多い題材ですが、胡錫珪の仕女図は「白描」という墨の黒のみで絵を描くもので、鮮やかさは劣りますがその緻密な筆跡や濃淡の色使いで、女性の華やかさを上品に表しているのが特徴です。
その後、美術作品の収集家であった顧文彬より後援を受け改めて絵を学び、技法を上達させていきましたが、その間約数年で胡錫珪は病で亡くなりました。