17世紀後半から18世紀中頃にかけて画家として活躍しました。福建省の出身で、号は主に新羅山人と称し、そのほか東園生や白沙道人とも称しています。
作品の題目には山水画や人物画、または花鳥や植物、昆虫など様々なものを取り上げており、中でも花鳥画は、同時代に花鳥の写生画で名を馳せた惲格(うんかく)と並んで称賛されました。
また、浙江省に住居を移した際には現地で活躍していた書画家の金農や、画家の汪士慎と親交を深め、後に揚州を代表する画家を指す『揚州八怪系』にも挙げられています。揚州八怪系の画家たちの中でも、華嵓の作品には上品な美しさがあるのが特徴と言え、同時に自作の詩を記した詩書画も多く制作しました。