東洋骨董大辞典

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陳立夫(ちんりっぷ)

20世紀に政治家として活躍しました。父の陳其業も国民参政会の参政員や国民大会の代表を務め、自身も兄と共に指導者となるなど政治家の一族に生まれています。

幼少期は成績もよく、上海路鉱学堂中学部を首席で卒業し、国内の大学からアメリカのピッツバーグ大学へ留学し、卒業しました。やがて25歳で帰国すると、ほどなくして蒋介石に招かれ黄埔軍官学校の秘書として勤め始め、その後は蒋介石の昇進と共に、総司令部機要科科長や秘書処代理処長なども任ぜられています。

 

27歳のときには、兄の陳果夫と共に設立した中央倶楽部(Central Club)を基盤に、中国国民党内の党派、CC系を確立して蒋介石をサポートし、権力の強化に務めました。この頃には兄が国民党中央党部組織部の代理部長、陳立夫自身は党務調査科主任となっており、特務活動を指導しています。その後は蒋介石の密命のもとで行動し、国共合作に大きく貢献するなどしました。

 

やがてCC系の党内の抗争激化が原因で台湾に逃れ、アメリカへ亡命しました。69歳の時には帰国し総統府で資政として勤めましたが、政治には関わろうとせず、72歳で中国医学院の理事長となると、儒教や漢方医学の研究に打ち込んで行きます。著書には『唯生論』や『生の原理』を残し、100歳で息を引き取りました。

 

 

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