和骨董大辞典

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赤膚焼(あかはだやき)

赤膚焼は奈良県で焼かれている陶器です。名前は生産地の五条山の別名「赤膚山」や赤く焼ける陶土から来ていると言われ、様々な説があるようです。

赤膚焼は、赤絵の施された素朴さが特徴とされ、その図柄は「奈良絵」と呼ばれるものです。奈良絵は御釈迦様の一生を記した「過去現在因果経」に基づき絵を加えたもので、赤膚焼では題材として代表的な、鹿や奈良の風景、あるいは木立や人物像が童話のような和やかさを持った雰囲気で、素朴に描かれています。

 

 

 

赤膚焼の歴史

 

 

奈良県の五条山の近くでは古くから良質の陶土が採取されていたため、古代には埴輪の制作なども行われていましたが、赤膚焼の始まりは安土桃山時代であったといわれています。豊臣秀吉の弟で、郡山城主であった秀長が、愛知から常滑焼の陶工を招いて窯を築いたのがきっかけでした。

ここで焼かれた赤膚焼は、諸大名や武将への贈答品や茶道具として使われ、この頃から一種の産業としての流れは確立されていたと考えられています。やがて茶人小堀遠州に茶器の制作について学ぶなどして「赤膚焼」の名前は全国的に広がっていきました。

 

 

その後、徐々に衰退していた赤膚焼が新たに復興したのは江戸時代、18世紀末頃のことです。当時郡山藩主であった柳澤尭山が新たに窯を築き、瀬戸や京都などから名工を招きました。名高い陶工たちの中でも特に奥田木白の作品には名品が多く、赤膚焼の名を一層広めたと言われています。

 

明治維新や世界大戦も乗り越え、赤膚焼は時代によって陶土や形に変化を交えながら、現在でも技法と伝統を受け継いでいます。

 

 

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