16世紀後半から17世紀中頃に活躍した書画家です。江蘇省の出身で、号は仮庵と称していました。文学者として名高く、散文で多くの作品を残した帰有光の孫として生まれています。そのため10歳の時にはすでに優れた詩を作っており、古文の勉強にも打ち込むと、やがて同時期に活躍した画家の李流芳や王志堅と共に『崑山の三才子』と呼ばれ称賛を浴びました。
絵においては特に蘭竹を描くことを得意としていましたが、山水画は元時代末に活躍した画家の倪瓚や、同じく水墨画家の黄公望の作品から学んでいます。また篆刻にも才能を発揮し、篆刻家・文彭より学ぶとその筆法に独自の変化をつけて自身の筆法を確立し、当時活躍した文彭、ならびに王梧林と3人で当時の印壇を先導しました。
書においては草書をよく書き、晋唐時代や北宋時代末頃の書の影響があると言われています。