15世紀に書家として活躍しました。江蘇省の出身で号は貞伯と称しています。同時期に活躍した沈周や文人画で名高い文徴明の、父・文林などと親しく当時の文化芸術を先導しました。22歳の時に科挙の試験資格を得、やがて書の腕を認められたことで官職に登用されています。また文徴明の書の師も務め、李応禎の長女は『呉中四才子』の1人としても挙げられた祝允明に嫁ぎました。
書においては楷書や行書、草書などあらゆる書体に優れており、秀麗でまとまりのある作風はその人となりをよく表しているともいわれています。古法を尊重しながらも独学で習得しており、そのほか文詞などにも秀でていました。また、金石や書画の収蔵家としても知られています。