17世紀中頃から18世紀前半にかけて活躍した活躍した書家です。江蘇省の出身で、号は退谷や秋泉と称しています。39歳のときに科挙試験で1位の成績であったことを表す会元として及第し、立派な人柄と、利欲に動じず政治を補佐するその性格は康熙帝に気に入られ、厚遇されました。
書においては文人であり書家でもあった姜宸英と並んで「姜汪」と評され、依頼には碑版の字を毛筆で書き起こす揮毫(きごう)が多かったと言われています。唐時代の書家、顔真卿や褚遂良、趙孟頫などの作品から学び、骨法を重んじた書風を特徴としました。