東洋骨董大辞典

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分院窯(ぶんいんよう)

現在の韓国、広州郡南終面分院里で活動していた窯で、分院里窯とも呼ばれています。李氏朝鮮の時代後期の1752~1883年に官窯が築かれ、白磁や染付を中心に大量の作品が焼かれました。

均衡のとれた形の器に、美しい白色の釉薬を施すことで作られる白磁の品質は非常に高く、窯では350~550名もの陶工たちが年に2回、春と秋に作品を献上するため技術を磨いていました。

 

白磁の他、李朝染付の制作も行っており、呉須を使って白磁の釉薬の下に描かれた図柄は、都から派遣された画院の絵師によるものだったと言われています。

 

 

 

分院窯の歴史

 

 

分院窯開窯のきっかけは16世紀末まで遡ります。

朝鮮は当時、日本の安土桃山時代にあたり、その末頃に起こった秀吉の朝鮮出兵によって陶磁器生産が壊滅的状態となっていました。その後官窯が広州のあたりに集まるようになると、より研究を重ね改良された白磁や青花が作られ、朝鮮独特の作風が確立されていきます。

 

そして1752年、安定した生産を実現する為、官窯が移転された先が、この分院里でした。こうして分院窯は全盛期を迎えます。

しかし、国力の衰退と共に、李氏朝鮮時代末期には分院窯も衰え、民窯となっています。

 

 

 

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