17世紀後半から18世紀中頃、清朝廷の宮廷画家として活躍しました。この郎世寧という名は中国名で、本名はジュゼッペ・カスティリオーネ、というイタリア人です。
郎世寧はミラノに生まれ、イタリアで画家として修業し、18世紀初頭にイエズス会士となっています。そして中国で画家として勤める任務を授かると、27歳の頃に北京へ渡り、布教活動を行いました。しかし、1722年に雍正帝が即位するとキリスト教が禁止され、それ以後は宮廷に仕える画家として官位を授けられます。離宮の拡張計画などにも参加し、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の三世代にわたって仕えました。
郎世寧は宮廷仕えをする中で中国絵画の画法も学び、西洋と中国を融合させた新しい作風を生み出しました。題材には皇帝や皇妃を描いた人物だけでなく、花鳥や禽獣画もよく描き、中でも郎世寧の描く馬の絵は見事な仕上がりです。西洋の柔らかい色使いを交えながらも、当時の中国の流行に合わせ、陰影は少なく、顔料で絵を描く作風を取り入れています。