19世紀末から20世紀に活躍した、書画家や篆刻家あるいは美術教育者です。江蘇省の出身で、10代の頃から書画や詩文、金石を学びました。
27歳の頃には同じく篆刻家・画家である呉昌碩(ごしょうせき)に弟子入りし、篆刻と書画を学び、昌明芸術専科学校や上海美術専科学校で教授、兼 中国画学部の主任などを務めています。
また、上海画院の副院長や名誉院長、中国美術家協会の理事などを歴任したほか、自身の制作活動も続け、昭和60年には日本でも展覧会を開いています。
作品の中でも、書画においては伝統的な文人画を受け継いでおり、花卉や柘榴、松、または山石などの題目を得意としました。