19世紀に僧、または画家として活躍しました。広東省の出身で、当初は清朝で地方軍官を務めていましたが後に打倒清朝とする太平天国の乱に参加し、その後は出家して書画に勤しみました。
僧となってからは「虚谷和尚」と呼ばれていたようです。
29歳で書画僧になった後は、花鳥画や山水画、昆虫や動物など様々なものを描きましたが、中でも枇杷と金魚を描いた作品が多く残されています。植物はもちろん金魚などの魚、猫や鳥など、ぼかしやかすれなどの巧みな筆遣いで題材の質感を表しているのが特徴的です。
当時の書画家であった任伯年や高邕、胡公壽などとも親交があり、合作の制作も行っていました。