16世紀から17世紀初頭に画家として活躍しました。上海の出身で、明時代末期の画家董其昌の師として知られ、晩年は亭林と称しています。
顧正誼の父は官僚を務めていましたが、自身も詔勅の起草などを行う中書舎人を務めました。
絵は当初山水画を学びましたが、やがて元末四大家の一人であった黄公望の作品を規範とし、さらに自身で収集した古書画の研究も経た上で作品を制作したことから、「華亭派の祖」とも称されるようになりました。
師弟であった董其昌にも山水画を学ばせる際には、自身の収集した黄公望の直筆画を披露したことで、董其昌も黄公望に大きな影響を受けたと言われています。