20世紀に活躍した画家で、四川省の出身です。
絵は青年期に東方美術専科学院で学んだ後、延安にある陝北公学院で、版画の制作と中国画に没頭しました。画家として名を馳せてからは花鳥画や山水画、人物画など幅広い題材を描くことを得意とし、「長安画派」の創始者となったと共に、中国美術家協会の常務理事や陝西国画院名誉院長など要職を歴任しています。
しかし、文化革命の最中で、石魯が描き続けていた西北黄土高原における荒々しさは批判の的となり、それでも画風と題材の変更を受け入れなかった石魯は精神の病に侵されました。弾圧の中、入院と治療を繰り返しながらも、晩年まで絵を描き続けています。