19世紀後半から20世紀中頃に活躍した政治家です。上海の生まれで、20代前半から日本へ留学し、法政大学や早稲田大学で勉学に励みました。
帰国後、27歳のとき科挙に合格し、外務部副大臣となっています。やがて参議院議員となり、日本をはじめとする国外との交渉に立会いましたが、親日的立場をとり続けたことで売国奴と批判され、1919年の五・四運動では過激派によって邸宅が焼き払われるなどの事件に遭いました。
その後まもなく役職を罷免されましたが、中華民国臨時政府の成立時には最高顧問として招かれています。内戦後は日本へ亡命した後アメリカへと逃れ、89歳で息を引き取りました。