19世紀に政治家として活躍しました。直隷省の出身で、号は鑾坡と称しています。36歳のときに1番の成績で科挙に及第し、学務や教育を司る「学政」となりました。その後一時は太平天国軍の軍事行動の鎮圧に尽力し、考案した防衛策が多く採用されましたが、50代の時には北京で軍政長官を務めています。1860年代には河や道の管理にあたる河道総督や、官の管轄する穀物輸送経路の管理にあたる漕運総督となり、これらの指揮監督を行いました。
70代となっても国防や司法に携わるなど、晩年まで官職に従事しています。
政治家としての活動のほか、書画や詩でも才能を発揮しました。