19世紀に活躍した能書家、または学者です。江蘇省の出身で、号は子輿や詠春、観濠居士と称しています。また、父の死をうけた退官後には豪叟という号も用いました。青年期は文学者の李兆洛に歴史や儒学を学び、法家の書物『管子』や道家の書物『荘子』などに通じました。30歳のときに科挙試験に及第したのち、官職に就いてからは安徽省の長官となっています。
書においては清時代の書家・鄧石如の作品から大きな影響を受け、特に隷書と篆書に優れていました。やがて石鼓文や金文の書体も研究し、楊沂孫独自の作風を確立しています。同時代に活躍した書家・呉大澂と並んで篆書における大家として称されたほか、著書には『観濠居士文集』や『荘子正読』、『管子今編』などがあります。