17世紀半ばから18世紀前半にかけて活躍した書家です。浙江省の出身で、号は耕夫、小鉄、大瓢と称していました。10代のはじめに父親が友人の事件に巻き込まれ黒龍江省に流刑となったため、自身は祖母と弟と共に蘇州に移住しました。その後、一時は官僚への道に進む機会も得ましたが、辞退しています。楊賓は長年、帝に父の免責を訴えましたが叶わず、40歳の頃には父母の元に赴きました。再開すると孝行を尽くし、まもなく父が息を引き取るとその棺は故郷に埋葬し、母を引き取ったことから、親孝行な子としてよく知られています。
文や書に優れており、書においては唐時代の書家・欧陽詢や東晋時代の書家・王羲之の作品をよく研究した、気品のある行書が特徴的です。