18世紀後半から19世紀後半にかけて活躍した政治家です。福建省の出身で、号は竢村老人と称していました。父は教師をしており、林則徐は26歳のときに科挙試験に合格しています。官職に就くと大量の行政資料を読み解き、その後各地で総督を歴任しながら農村の復興や整備、また不正を働く官吏の処分を行いました。
こういった功績から官吏として高い評価を得ていましたが、中でも最も有名なのはアヘンの取り締まりについてです。
特に52歳の頃に総督となって以降、『アヘン厳禁論』に賛同するなどアヘンの撲滅に尽力し、広東省ではイギリスの商人からの賄賂に目もくれずに厳しくアヘンを取り上げるなどしたため19世紀の前半には阿片戦争を引き起こしました。戦後中国の西部に左遷されましたが、林則徐はここでも善政を行い人々に慕われています。
書においては楷書や行書に優れ、郭尚先や梁章鉅と共に「閩(福建省)人の三君」と称されました。厳格で秀麗な書が特徴的です。