16世紀後半から17世紀に、書家あるいは官吏として活躍しました。浙江省の出身で、号は鴻宝と称しています。貧しい家の生まれでしたが、28歳のときに科挙に及第し官職に就きました。当時の最高学府であった国子監や翰林院に勤めた後、同僚との争いが原因で離職しています。しかし50歳になる前に呼び戻され再び王朝に仕え、李自成の乱が過激化し反乱軍が北京を崩落させると自ら命を絶ちました。
官吏として活躍したほか、倪元璐は幼い頃から芸に優れていたことでも知られており、東晋時代の書家王羲之や北宋時代の蘇軾の作品を研究し、特に草書と行書の優れた作品を残しています。明時代には王鐸や黄道周と並んで、書道における当時の名人として讃えられました。