17世紀に活躍した書家、画家、または文人です。山西省の出身で、多くの号を持っていました。朱衣道人や丹崖翁、隨厲、観化翁、石道人、酒肉道人、六持などはその一部です。
学者を多く輩出した家系に生まれ、自身も幼い頃から人並みはずれた才能を持ち、一度見た文字を絶対に忘れないなどの能力があったと言われています。経書や史書、仏教、道教の書にも通じ、そのほか詩文や医術などにも優れていました。
明王朝滅亡後は道士の風体で各地を流浪し、医術を施すことで生活していたと言われています。明の遺民として清王朝に抵抗する意思を見せていたため一時は投獄されることなり、やがて晩年にはその才能から清の博学鴻儒科に招かれましたが、最後まで受諾することはありませんでした。
前述した学問のほかにも、幼少期より顔真卿や王羲之の作品から行書、草書を学び、篆刻、金文も習っています。奔放で力強い筆致が特徴です。
また、絵においては墨竹画や山水画に優れた作品が多く見られます。