20世紀に書家または政治家、作家として活躍しました。浙江省の出身で、大学に進学しましたが国民革命軍の活動に打ち込むため中退しています。その後政治に携わるようになると、汪兆銘政府において法制局長官を務めましたが、意見の対立が原因で間もなく辞職し、編集者を経て漢口大楚報の社長となりました。
胡蘭成は38歳で一度結婚していますがうまくいかず、44歳のときには政治亡命を目的として来日した日本で、上海の重鎮の未亡人であった佘愛珍と再婚しています。60代後半からは台湾の大学で教壇に立ち、「永世教授」としても認められましたが、70歳の時には同国からも追われることとなりました。晩年は再び日本で過ごし、筑波山に腰を落ち着けると、小説家の川端康成や各学者たちなど当時の文人たちと親交を深めたと言われています。
「中国のこころ」、「建国新書」などの著書のほか、書に秀でており多くの作品を残しました。