17世紀に活躍した仏師です。福建省の出身で、号は清源山人と称しました。宮廷で印官の職に就いていましたが、1660年に長崎で活躍していた禅僧・隠元隆琦に招かれて日本に訪れています。当時、隠元隆琦は京都府に黄檗山万福寺を造設しており、范道生は長崎の福済寺数か所に身を寄せながら、釈迦や迦葉、十八羅漢、阿難、など万福寺の彫像の数多くを製作しました。范道生の作品は当時流行していた日本の職人によるものに比べ動きのある仏像彫刻となっており、仏師たちにも少なからず影響を与えました。
そのほか道釈画なども得意としていましたが、30代手前の頃に帰国しています。のちに再び日本に訪れようとしましたが奉行所からの入国許可が下りず、同年に船中で亡くなったため長崎の崇福寺に葬られています。