17世紀に活躍した書家です。江蘇省の出身で、号は耕海潜人や射陵、蔬秤などと称していました。明王朝の崩落時、清軍が北京を落とし入れると宋曹は南京の亡命政権に福王を擁立し、明王朝の回復を図り、自身は中書舎人という官職に就いています。しかし間もなくこの亡命政権も崩れ、その後宋曹は故郷である江蘇省に位置する射陽湖のそばに隠居しました。
当時清王朝は民間からも優れた人材であれば清政府に加えようと、数回にわたる特別試験を行い、宋曹もこれに推薦されています。しかし清王朝に仕えることを良しとせず、病を理由に辞退しました。作品には宋時代の名跡を集めた法帖『淳化閣帖』を手本とした臨書が多くみられ、これを学書の基本としていたと言われています。