17世紀に活躍した書家です。鎮江省の出身で、号は始青道人や江上外史、君宣、鬱岡掃葉道人などと称していました。29歳の時に科挙試験に及第すると、司法を司る刑部から監察官・御史となり、清時代の政治家・余国柱を弾劾しています。また官職を辞してからは五洲山や句曲山などに隠居して道教に親しみ、書画にも打ち込みました。『画筌』や『書筏』などの書画論の著書も発表しています。
書においては当時の文人・何焯や汪士鉱、姜宸英と共に四大家の1人として挙げられるほどで、非常に多くの人々に師事されていました。楷書や行書、草書を得意としましたが現代まで遺されている作品は行草書がほとんどで、鋭い筆勢を特徴とした独自の作風を示しています。