20世紀に活躍した書画家あるいは篆刻家です。上海の出身で、号は糞翁や散木などと称していました。幼少期はイギリス人の経営する華童公学で学んでいましたが、その才能は教師には認められず、それに憤慨した鄧散木は相対する中国の伝統学芸を学ぶことに専念するようになったといいます。これがきっかけとなり、鄧散木は書画や篆刻の腕で自立するまでとなりました。
篆刻については趙古泥に学び、また書おいては蕭蛻に師事していましたが、鄧散木自身も弟子をもっており、上海に拠点を置きながら個展の開催や一門の展示会を行うなど精力的に活動しています。
やがて時代が中華民国となると、自身の制作活動を続ける傍らで人民教育出版社から北京に招かれ、教科書の編纂などにも尽力しました。
鄧散木は特に篆刻に優れており、不朽の名作として指南書の『篆刻学』はよく知られています。また書においては元時代の書画家である趙孟頫の作品から行草書をよく学んでおり、加えて師の蕭蛻による『蜾扁法』を継承した篆書でも、優れた作品を残しています。