15世紀後半から16世紀前半に学者や思想家、または武将などとして活躍しました。浙江省の出身で、本名は王守仁です。号である「陽明」の名は陽明洞という場所に住んだことから付けられたと言われています。
王陽明の父は科挙を主席で通過するなど優秀な成績を残した人物でしたが、王陽明自身も文武両道で、そのほか仏教や詩学などにも才能を発揮していました。20代の頃には軍略の必要性も感じ、兵法を自ら学んだほか、儒学と朱子学にも没頭しました。
やがて28歳の時に科挙を通過して官吏となり、独断政治の摘発で一時地方に飛ばされるものの、県知事や高官を歴任し功績をあげていきます。中でも、紛争地域の鎮圧や反乱軍の撃破などの軍事的な才能を発揮した業績は、『三征』と呼ばれ後世にも語られました。