東洋骨董大辞典

  • TOP
  • 東洋骨董大辞典

中国陶磁器1

陶磁器の始まり

 

やきものは八千~一万年前に世界各地で同じ時期に、広い範囲で焼かれ始めたと言われています。その中で、中国で初めて陶磁器が焼かれたのは、紀元前7000年頃、日本でいう新石器時代のことでした。日本で一般的にやきものは「土器」と、粘土を使って作る「陶器」、そして陶石の粉と土を混ぜて作る「磁器」に分けられますが、中国にはこの内「土器」の概念はなく、全ての焼物が「陶器」(または陶)と「磁器」(または瓷)に分けられます。

この分け方も中国ならではのもので、焼成温度が1000度以下のものを「陶器」、それ以上の焼成温度で焼いたもの、あるいは釉薬が用いられているやきものは全て「磁器」に分類されます。つまり、日本で言えば土器も陶器も「陶器」としてひとくくりになるのです。

 

 

新石器時代に中国でやきものが焼かれ始めた頃、国外では野焼きの土器が多かったのに対し、中国では早くから窯が築かれ土器が焼かれていました。これは中国陶磁器の歴史的な特徴の一つでもあります。

窯を使用したことによって高温焼成が可能となり、より耐久性が高く、また温度の変化を活かした陶土の色合いの違いを出すことにも成功しました。紅陶や彩陶に続き灰陶、黒陶、白陶などがそれにあたり、これらは中国陶磁器の先駆けとして知られています。

 

 

 

☆紅陶(こうとう)

 

始めて窯が築かれ、焼成温度を900℃以上にすることに成功した頃に焼かれていた陶器です。赤褐色や黄色みがかった褐色のものが多く、日用品として皿や酒器、鉢、壺など様々な器が焼かれていました。

 

 

☆彩陶(さいとう)

 

紅陶が焼かれ始めてしばらくした頃に出来上がった陶器です。簡単にいうと絵付けを施した紅陶で、紅陶の表面をヘラで磨いたあと、赤や黒の顔料で模様を描いて焼いたものをさします。日用雑器の他に祭祀用や副葬品としての作品も見つかっているそうです。

 

 

☆灰陶(かいとう)・黒陶(こくとう)・白陶(はくとう)

 

紅陶などを焼いていた窯を改良し、焼成温度を1000℃まで上げられるようになると、より硬い陶器を焼成できるようになりました。そこで作られたのが灰陶です。様々な模様が施され、その耐久性から唐の時代まで使われました。

この灰陶を焼いた窯を活かし、鉄分を多く含む素地で作られたのが黒陶、素地を丁寧に精製し鉄分を除いた素地で作られたのが白陶です。特に黒陶の中でも、地を卵の殻のように薄く成形して焼き上げられたものは、「卵殻(蚕殻)黒陶」と呼ばれ珍重されていました。

 

 

 

 

このように古代から優れた技術で焼かれていた中国のやきものは、その後発展していくにつれ、世界の陶磁器界の最先端となっていきます。日本では茶の湯の文化の伝来と共に中国磁器が大流行し、また中国で焼かれた美しく白い磁器はアジア圏だけでなく、ヨーロッパの王室や上流階級で「白い黄金」と称されヨーロッパ中がその再現に奮闘しました。そのため現在英単語の『CHINA』は、中国の国名としての意味の他に、「磁器」を意味する単語となっているほどです。

 

 

買取に関するお問い合わせ

ご相談やご質問など、まずはフリーダイヤルでお気軽にお電話くださいませ。
  • お電話でのお問い合わせはこちら tel:0120-424-030
  • メールでのお問い合わせ