16世紀後半から17世紀前半にかけて活躍したキリシタンの画家です。父が中国人、母が日本人であり、長崎県でイエズス会の初等教育機関に入学し、洋画を学びました。やがて22歳になると、司祭のアレッサンドロ・ヴァリニャーノから指示を受け明時代のマカオに派遣され、現地で聖母被昇天の聖像を描いています。翌年には北京で描いた聖母子像が当時の皇帝・万暦帝に献上され、まもなく中国で活躍していた宣教師、マテオ・リッチの下でイエズス会の会員となりました。
以降も何度かに渡り中国へ赴き、江西省の聖堂に2つの聖人画を描いたほか、北京では多くの使徒や天使を含めた救世主を題材とした作品も残しています。晩年も中国に滞在し、1638年にマカオで息を引き取りました。