19世紀の初期から中頃まで活躍した画家です。浙江省の出身で、号は不舎と称しました。貧しい家庭で育ちましたが画塾で人物画を学び、その後は上海で自身の作品を売って暮らしたと言われています。
画においては人物画のみでなく、題目に花卉や虫、魚、走る獣や鳥など多くの動植物を取り上げており、その全てに優れていました。明時代の末から清時代の初期に活躍した画家の陳洪綬の作品から多くを学んだといわれています。また、子の任預や弟の任薫、養子として迎えた任頤と並び、上海で活躍した海上画派の代表的な人物として「海上四任」と呼ばれました。そのほか張熊、朱熊と並び「滬海三熊」とも呼ばれています。