19世紀中頃から20世紀初頭にかけて画家として活躍しました。江蘇省の出身で、号は璧月盦主や墨翁、墨道人などと称していました。特に仕女画などの人物画や仏像画、また馬などが走る様を描いた作品は、滑らかかつ軽やかな筆の運びが高く評価されています。そのほか鮮やかな色使いで描いた花卉画や、水墨で岩石を描いたものなどもあり、生き生きとした表現のある作品を残しました。
倪田は同時期に上海で活躍した画家の任頤の作品を好み、上海に移住しています。同地で任頤の画法を取り入れるためその作品を熱心に研究し、のちに自身も高い人気を博しました。55歳の頃には上海書画研究会庶務協会董事に任命され職を全うしています。