19世紀後半から20世紀中頃にかけて活躍した政治家です。四川省の出身で、号は薑庵や蔵園居士、蔵園老人などと称していました。26歳のときに科挙試験に及第し、翰林院や、教育を司る学政に務め、その間日本へ教育研究の視察に訪れています。その後直隷提学使や公立北京女子師範伝習所にて所長を務めるなど要職を歴任し、39歳の時には中央教育会議副会長に任命されました。
辛亥革命ののちは南北和平交渉に尽力し、やがて王士珍をはじめとする各内閣下で、2年にわたり教育総長を務めています。50代の頃からは故宮博物館の図書館館長や清華大学での教師として後進の育成に励み、晩年は蔵書の目録作成に費やしました。