19世紀前半から20世紀初頭にかけて活躍した学者です。浙江省の出身で、号に曲園と称していました。29歳のときに科挙試験を受験しましたが、その時の試験官は太平天国の乱を鎮圧したことで知られる政治家・曽国藩であり、彼が兪樾を絶賛したこともあり、及第に至ったと言われています。
清王朝に仕えると、その博識さを当時の皇帝より称えられ、30代の頃には教育や学務を担当する学政となりましたが、やがて自身の出題した試験について弾劾され辞職しました。その後は各地の書院で教壇に立ち、再び仕官することは無かったといわれています。
書においては隷書に優れており、長年研究していた漢碑から影響を受けた、趣のある独自の書体が特徴的です。