18世紀に書家または政治家として活躍しました。
山東省出身で、清時代中頃、科挙を通過し宰相の位まで登るなど学問や教養・政治能力に優れた人物として知られています。号は木庵、青原、石庵、日観峰道人などと称しました。
作品は詩文や文章の制作にも才能を発揮し、特に書法は顔真卿などの影響を受け素晴らしい作品を残しています。劉墉の豊満かつ穏やかな書は同時代の書家、張照と並んで大家とされました。
また、書を書く際の墨には漆のように濃い墨を好んで用い重厚さを表現したため、『濃墨宰相』と称されることもあります。