19世紀後半から20世紀中頃に活躍した官僚です。直隷省の出身で、号は石雲と称していました。中国史の中で最期の科挙となった1904年の科挙において、一番の成績をおさめたことで知られる秀才で、翰林院に勤めたのちは日本で研究員として活動しています。約3年後に帰国したのちは学校の監督などを務めていましたが、辛亥革命が始まると袁世凱に招かれ、その後約20年間、総統府秘書や教育監督などの要職を歴任しました。
清時代末から中華民国建国当初にかけて活躍した劉春霖でしたが、56歳で引退したのちは北京や上海で晩年を過ごし、72歳のときに息を引き取っています。