17世紀に活躍した詩人です。江蘇省の出身で、号は梅村と称していました。22歳の若さで科挙試験に合格し、翰林院にて左庶子の地位に就いています。また、明王朝が崩壊すると明の亡命政権・福王政権に仕えていましたが、馬士英や阮大鋮らと意見の食い違いがあり帰郷しました。
やがて呉偉業が40代の頃、清の王朝が築かれると知人の薦めで入京し、秘書院にて学問を講義する侍講や、最高学府であった国子監の長官などを務めています。学問に優れ、史学や経学などにも明るく、文学者、詩人としても活躍しました。
絵においては山水画を得意としており、書においては行書作品が多くみられます。