15世紀前半から16世紀にかけて文人、または書画家として活躍しました。江蘇省の出身で、号は匏翁や匏庵と称しています。30代の頃に科挙試験に主席で合格して官に就き、太子への学問の指導も経て、大臣にあたる礼部尚書を任せられました。
温厚で人望の厚い人柄であり、故郷では文人画家として名高い沈周など、友人らと共に後進を牽引し、都でも同郷の者たちの集まるサロンの中心となって活動しています。
呉寛は蘇軾の書を好みましたが、その書風は蘇軾に倣いながらも独自の重厚な書風を確立していると称されました。
書の他にも画や詩文に秀で、文人として在官中に没した際には『文定』の贈り名を貰っています。