18世紀後半から19世紀半ばにかけて活躍した書家です。安徽省の出身で、号は薦青や竹葉亭主と称していました。1805年に科挙試験に合格し、各部にて侍郎と呼ばれる要職を歴任しています。主に18世紀に活躍した能書家の姚鼐の後裔であり、散文の一派である桐城派に継ぐ詩文をよく制作しましたが、書画においても優れた才能を発揮しました。
書においては隷書を得意としており、当時姚元之の上司であった詩人・張問陶はその書を絶賛したと言われています。重厚な書風を基調としながらも滑らさもみられる書は、曹全碑や乙瑛碑の作品からの影響が指摘されています。