17世紀に活躍した書家です。江蘇省の出身で、号は樹峰と称していました。43歳の時に科挙試験に及第し、その後、教育や祭祀、科挙などを司る礼部にて職を任せられています。こちらで孫岳頒は康熙帝が行った、書画論や書画跋、また書画家の伝記などを勅撰した100巻にも及ぶ『佩文斎書画譜』の編纂に総裁官として携わっています。
書の才能に優れ、現代には行書と草書の作品が伝わっていますが、遺作は多くは伝わっていません。その書風は康熙帝の好みに寄せたためか董其昌の書に通じたものであり、清王朝の初期には宮中でその名を馳せました。そのほか康熙帝の命により詩文の制作や、皇帝が碑版をつくる際には必ず孫岳頒が筆をにぎるなど、康熙帝に重宝されたと言われています。