18世紀後半から19世紀前半に、学者または官僚として活躍しました。江蘇省の出身で、号は薇隠・季述と称しています。34歳の時に科挙を通過し山東省の地方官となりましたが、母親の死後帰郷し、学者の阮元の助言により教壇に立ちました。その後官職に復帰し、行政を担当するなどしましたが、58歳で息を引き取っています。
詩の制作において才能を発揮したことでも知られており、同時期に活躍した詩人の袁枚からは「天下の奇才」と称されました。妻であった王采薇も詩をよく制作し、二人の作品の載った詩集『平津館叢書』も出版されています。
そのほか『尚書今古文注疏』の30巻や『孔子集語』などいくつかの著書や叢書の編集も行いました。