東洋骨董大辞典

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安南焼(あんなんやき/バッチャン焼)

安南焼とは、ベトナム北部で焼かれている陶磁器のことです。昔、中国とベトナムの国境付近は「安南」と呼ばれており、良質の陶土が多く採れたこと、また早い時期から中国陶磁器の影響を受け、制作が始まったと考えられています。

柔らかな乳白色の釉薬に入った貫入や、少しにじみのある図柄が特徴で、時代ごとに無地安南、安南染付(絞り手)、安南赤絵、呉須安南、安南青磁など多様な種類の陶磁器が制作されました。図柄には魚や動植物など様々な種類がありますが、最も代表的なのはトンボです。茶碗や水指、花器、香合など茶道具を多く製造し、日本でも高い人気を得ました。

 

 

 

安南焼の歴史

 

 

安南焼の始まりは14世紀後半~17世紀前半の明の時代だと言われています。当時すでに中国で盛んに焼かれていた、染付磁器に用いる呉須の仕入れルートが安南に比較的近かったこと、そして明時代の初期に起こった中国軍の占領により、中国の名窯「景徳鎮」の作品がベトナムにも伝わったことなどから、安南焼が誕生しました。当初の安南焼は生産量も多くはなく、中国の青花を安南風に真似たものが作られていたようです。

 

15世紀になると、中国の福建省沿岸で倭寇が活動し始め、住民の避難や海上貿易の禁止令などが布かれました。これによって中国陶磁器の輸出入が制限されましたが、その代わりとして、安南焼が海外へ輸出されるようになったのです。

東南アジアや台湾、そして琉球王国や日本にも流通し、御朱印船などで渡来した安南焼は茶人に親しまれることとなります。特に日本で安南焼は「紅安南」(赤絵を施したもの)や「安南絞り手」(染付)、そして「安南蜻蛉」などと呼ばれ珍重され、安南写しも制作されるほどでした。

 

 

16世紀、明時代の後半に海上貿易の禁止令が解消されると、各国からの陶磁器輸入の希望が高まり、中国の景徳鎮窯で染付磁器の大量生産が始まりました。これによって安南焼よりも品質の高い焼物が大量に出回り、安南焼は衰退していきます。

 

海外貿易の市場が失われた安南焼ですが、現在でもベトナムの北部、ハノイのそばに位置するバッチャン村で製造は続けられています。

安南焼ではなく「バッチャン焼」と呼ばれ、主にお土産用としての生産ですが、技術の進歩によって失われつつあった安南焼特有の貫入や、染付のにじみを復元する研究も行われているようです。

 

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