17世紀前半に活躍した画家です。山東省の出身で、号は青蚓や北海と称していました。出身は山東省でしたがのちに北京へと移り、科挙試験を受けるための学生として励みます。しかし、1644年に明が滅亡してからは清に仕えることを頑として良しとせず、遺民として土室にこもり出てこず、餓死して最期を迎えました。
絵においては人物画に優れており、同時期に活躍した陳洪綬とならび『南陳北崔』と称えられています。唐時代や六朝時代の作品に感化されたと思われる、古く、そして奇妙ともとれる独特な画風を特徴としました。代表作には、『杏園送客図』などがあります。