19世紀半ばから20世紀の初めにかけて政治家または書家として活躍しました。広東省の出身で、号は長素と称しています。幼い頃から学問に長けており、儒学者に師事して儒学を学んでいましたが、その他にも仏教や陽明学、西欧諸学なども網羅し、30代の時には広州で私塾を開校しました。
科挙試験にも及第しましたが、康有為は当時明治の革命を遂げ急速に発展する日本に強い興味を抱いたと同時に、中国の政治改革の必要性を感じ、変法運動の為に奔走しています。やがて皇帝より信任を得て戊戌の変法で改革に乗り出しましたが、西太后たちのクーデターによって失敗に終わりました。
その後は日本や各国を亡命して回り、その最中には自身の書などを売ることで生活していたと言われています。現存する作品には行書や草書が多く残されています。