17世紀半ばから18世紀前半にかけて活躍した、清王朝の4番目の皇帝です。前皇帝の3子として生まれ、祖母から厳しい教育を受けて皇太子となりました。若くして皇太子に任命されたため、康煕帝が皇太子であった期間の政権は重臣によって行われています。その中でも国益を考えずに自身の好き勝手に権力を振りかざしていた家臣・オボイを捕らえるため、康煕帝がわずか16歳の頃に仲間たちを率いオボイをこらしめた話は広く語られました。
その後も反乱の鎮圧や南方巡航に努めたほか、倹約を心がけ使用人の数を大幅に減らしています。また文化面では字典や詩集の編纂、中国地図の作成なども命じ、自身も儒学者から教えを受けました。